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庄川夜高行燈

散居村

自然と共に生きる喜び

 庄川町は、全国的に珍しい散居村で有名な砺波平野に位置し、町の中央部を庄川が流れ、水王国とやまの一翼を形成しています。その庄川町が平成16年11月に隣接する砺波市と合併し新砺波市の中に位置することになりました。

 夜高行燈のはじまりは、種田、雄神地区周辺から田植えが無事終わり「五穀豊穣、豊年満作」を祈ったもので、子どもたちがトッペ行燈(豆腐の形からきたもの)という田楽行燈を手に持ち各農家を廻り慰めたとされ、鎌倉、室町地区時代から盛んに行われていたとされている
昭和7・8年ごろから青島・金屋地区が福野夜高行燈をまねて、各町内が競うように大きくなり繁盛期には30数基の行燈で賑わったが戦時中、戦後にすたれ、復活を繰り返していく

 昭和二十八年庄川町町制施行一周年を記念し「第1回庄川観光祭」が行われ夜高行燈もこの行事の一つとして行われるようになった。本年度(令和元年)より67回の観光祭を迎える。
昭和五十年に「庄川町夜高保存会」が設立され、庄川の夜高の運営、観光祭との連携、各町内の統制をとる役割をはたしている。

平成24年に各町内の若い衆が話し合い自ら設立した「庄川夜高若連中」が保存会の施作のみならず若い考えを積極的に取り入れ、現代の価値や手法駆使し夜高のアピールやいっそうの盛り上がりを作り出している